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〈バー劇場〉への誘い。

「よし、思い切って入ろ ! 」。 店の前を行ったり来たり。しばらく迷った末、勇気を振り絞って扉を開けると、想定内とはいえ、都会の喧騒から離れた静謐な異空間に身体が固まった。が、それも束の間、「いらっしゃいませ」と笑顔のバーマンが、ぼくの緊張感を解きほぐした。

かれこれ四半世紀前、バー・デビューしたときのこと。当時、珍しかったシングルモルトにハマッていたぼくは止まり木に腰をおろすや、知ったかぶりをし、あれこれウイスキーをオーダーした。随分、背伸びしていたあのころが懐かしい。

ひとり悦に入ってグラスを傾けていると、アルコールなら何でもいい「酒飲み」から、ちょっぴり心して嗜む「酒好き」に自分が変わったように思え、あゝ、大人になったんやという気がした。一杯のお酒の重みを肌身で感じたからだろう。

そんなわけでバーへはお酒が目当てだったが、そのうち店内の空気に浸りたいがために足繁く通うようになった。居酒屋では決して体感できない雰囲気。それはスナックとも異なる。バックバーに居並ぶボトルたちから放たれる〈オーラ〉、バーマンとの適度な距離感、そのバーマンの個性が嫌味なく主張されているインテリア……。

すべて居心地良く感じられ、どんどん惹きつけられていった。 演劇に例えるならば、バーの空間が舞台、演出家がバーマン、そして観客は私たち。では役者は?もちろんお酒だが、時として会話が主役になることもある。たとえひと時とはいえ、同じ時空を共有する“同志”との語らいがドラマをさらに盛り上げる。そう、バーは観客参加型の劇場なのだ。

ぼくは大好きな映画の余韻を味わいながら、グラスを舐めていることが多い。その傍らには、ジャズ愛好家、陶芸を始めた人、旅好きの人、某球団の熱烈ファンなどなど、実にいろんな人たちがカウンターに身を委ねていた。何かしらこだわりを持って生きている人が多いみたい。

仕事の憂さ晴らしや失恋などでやけ酒を浴びるのもいいが、それだけで済ませられないところに、〈バー劇場〉の深みがある。

何たって観客にくつろいでもらおうと、毎夜、バーマンが演出に工夫を凝らしているのだから。

劇場であるがゆえ、ゆめゆめ閉鎖的な場ではない。そこに入れば、観客は楽しまなきゃ損!  そのためには大人としての「遊び心」が欠かせない。

さて、今宵はカーテンコールが実現するかな!?

SHAKES vol.4 掲載

一杯のお酒が人生を変える!?

「な、なんや、これは!」。かれこれ四半世紀前、新聞記者をしていた32歳の時、スコッチのシングルモルト・ウイスキーを初めて口にし、感動のあまり声を上げてしまった。銘柄はグレンフィディック。お酒の飲めない親戚からお下がりで頂いた中元の品である。 シングルモルトは今やポピュラーだが、当時はまだまだレアで、居酒屋一辺倒だったぼくには無縁の洋酒だった。香りも風味もそれまで飲んでいたモノとは何もかも異なっており、完全に心を奪われた。

それからだ。モルトを求め、バーに通うようになったのは。 そこではしかし、カクテル、リキュール、ラムなどウイスキー以外のお酒にも目覚め、異業種の人とも知り合え、狭かった自分の世界がどんどん広がり始めた。現実からちょっぴり遊離した異空間で嗜むお酒。それはぼくに癒しと明日への活力を与え、何よりも大人であることを自覚させてくれた。

いつしかバーに足を運ぶうち、モルトを味わうだけでは物足りなくなり、それを生み出すウイスキーの蒸留所を実際に見たくなった。記者魂がふつふつと湧き出てきたのだ。そして2年後、勤続10年休暇を利用してスコットランドへ飛んだ。

1週間の滞在中、各地の蒸留所を駆け足で巡ったが、ぼくの関心はむしろスコットランドそのものに移っていった。英国に属していながら、南のイングランドとはまた違った空気が流れており、住人のイングランドへの対抗意識も相当なもの。ウイスキーの銘柄にも英語と異なる表記(ケルト語の一種ゲール語)が目立つ。

俄然、興味を覚えた。スコットランドへは学生時代に一度訪れていたが、そのときは単に英国の一地方という認識しかなかった。帰国後、さっそくかの地の歴史を文献でひも解くと、6世紀、アイルランドから渡ってきたスコット人が建国の礎を築いたことがわかった。そのスコット人がケルト人の一部族だという。「ケルト?」。初めてその名を目にしたぼくは、まるで麗しの恋人に出会った時のような激しいときめきを覚えたのだった。

こうして「ケルト熱」に冒され、1995年に新聞社を退職後、ヨーロッパに点在するケルトの関連地を隈なく訪ね歩いた。ケルト文化が欧州の基層文化であることが浮かび上がり、ますますのめり込んでいった。足かけ10年にわたる旅。その成果を「ケルト」紀行シリーズ全10巻として完結できた。

このことはぼくにとってかけがえのない宝物となった。大きな自信としなやかさが身につき、考えてばかりではダメで、行動に移すことの大切さも痛感した。 人生、一度限り。やりたいことはちゃんと取り組まなアカン。でないと後悔する。確固たる指針が芽生えた。

今でもよく思う。あのときグレンフィディックを口にしなかったら、今のぼくは絶対にないと。ちょっとした縁が予期せぬ連鎖反応を引き起こす。人生に豊かな彩を添えてくれたお酒。あゝ、1杯の重みを実感……。

SHAKES vol.3 掲載

武部好伸
エッセイスト・作家。1954年、大阪市生まれ。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。